- 1767年 明和4年
- 山中家初代吉兵衛生まれる
初代吉兵衛、伊丹より大阪天満に移り住む
- 1806年 文化3年
- 山中家2代吉兵衛生まれる
- 1827年 文政10年
- 初代吉兵衛没(61歳)
- 文政~天保初頃
- 高松の玉緒象谷(香川蒟醤の祖)が山中の店で漆芸の修行
- 1840年 天保11年
- 山中家3代吉兵衛生まれる
- 1866年 慶応2年
- 安達定次郎 堺市にて生まれる
- 1872年 明治5年
- 2代目吉兵衛没(67歳)
- 1878年 明治11年
- 安達定次郎(13歳) 高麗橋3丁目古美術商山中吉兵衛方へ入店する
- 1889年 明治22年
- 安達定次郎(24歳) 山中吉兵衛長女貞(テイ)と結婚して山中定次郎となる
- 1894年 明治27年
- 山中定次郎(29歳) 山中繁次郎と渡米(11月)
ニューヨークで日本工芸品の第一回試売会を開催し、好成績を収める
- 1895年 明治28年
- フェノロサ、ビゲロー、モースらの協力を得て、ニューヨークに店舗を開く
- 1899年 明治32年
- ボストンに支店開設
- 1900年 明治33年
- 大阪上福島に工芸品製作工場を開設、ロンドン支店を開設し、英国王室の用命をうける
「合名会社山中商会」と組織を改め、山中定次郎は業務執行社員となる
- 1905年 明治38年
- 大阪高麗橋一丁目に「山中商会」本店を開く、パリに代理店を開設
- 1909年 明治42年
- 北の大火(7月)で上福島の工場が焼失し閉鎖、天満大工町の自宅も焼失
- 1912年 明治45年
- 定次郎、清朝恭親王のコレクションを購入
- 1913年 大正2年
- 清朝恭親王のコレクションをニューヨーク・ロンドンでオークション開催
3代目吉兵衛死去(74歳)
- 1914~1917年
大正3~6年
- 第一次世界大戦中、フランス人アンリ・ベーベルの浮世絵コレクションをロンドンの山中商会が松方幸次郎に斡旋し、流出した浮世絵が日本に戻る
ガウランド・コレクションの四条派・森派の名作も買い戻す
- 1917年 大正6年
- 北京に出張所を開設
「合名会社山中商会」社長山中吉兵衛死去につき、定次郎が一切の業務を担当
- 1918年 大正7年
- 「株式会社山中商会」資本金200万円で発足、定次郎が社長に就任(53歳)
- 1919年 大正8年
- 英国国王ジョージ五世から「ロイヤル・ワラント」を贈られる
- 1920年 大正9年
- クイーン・メリーから「ロイヤル・ワラント」を贈られる
- 1923年 大正12年
- 定次郎、ヨーロッパ各国を歴訪して古美術品を収集、大阪美術倶楽部で東洋美術展を開催。これ以降、昭和11年に至るまで十数回にわたって大展覧会を開催
- 1924~1926年
大正13~15年
- 定次郎、中国天竜山石窟・竜門・大同・仏印・シャム・ジャワを訪れ『天竜山石窟踏査記』を著す
- 1926~1936年
大正15年~昭和11年
- 京都帝大・東京美術学校・奈良女高師・朝鮮総督府博物館・京都西陣織博物館・帝室博物館・東方文化学院京都出張所・京都陶磁器試験所京都市美術館などにガンダーラ仏、その他の東洋古美術品の数々と書籍類を寄贈
- 1928年 昭和3年
- シカゴに支店開設、定次郎、フランス政府よりシュバリエ・ドラゴン・ダンナン勲章を授与
- 1929年 昭和4年
- 「株式会社山中商会」の資本金を300万円に増資
- 1931年 昭和6年
- 定次郎、スエーデン王室の収蔵品を鑑定
- 1933年 昭和8年
- 定次郎、ドイツのヒンデンブルグ大統領よりローテン・クロイツ勲章を授与
- 1936年 昭和11年
- 山中定次郎死去(71歳)、従六位を叙位、フランス政府よりレジオン・ドヌール勲章を追贈
- 1945年 昭和20年
- 日本の敗戦により、「山中商会」は海外資産を接収される